ベルガモットの歴史
ベルガモットの誕生から国内栽培が始まるまで
ベルガモットの歴史をまとめてみました。正確さには自信がありませんので、そのままの引用はお控えお願いいたします。
1 ベルガモットとは
ベルガモット(学名:Citrus bergamia)は、ミカン科ミカン属に分類される香りの強い柑橘類です。一般的なオレンジやレモンとは異なり、果実そのものを食べることよりも、果皮に含まれる芳香成分を利用する目的で発展してきました。
その起源については長く議論があり、サワーオレンジとレモン、あるいはサワーオレンジとライムなどの交雑によって生まれたとする説があります。近年の遺伝子解析では、サワーオレンジとレモンの交雑によって成立したとする説を支持する研究結果が報告されています。
果実はレモンや小型のオレンジほどの大きさで、品種や栽培条件によって丸形からやや洋梨形までさまざまな形になります。未熟な時期には濃い緑色をしていますが、成熟するにつれて黄緑色、さらに黄色へと変化していきます。
最大の特徴は果皮に含まれる精油です。ベルガモット精油は、リモネン、酢酸リナリル、リナロールなどを主要な香気成分とし、一般的な柑橘の爽やかさだけではなく、花を思わせる華やかさや柔らかな甘さを併せ持っています。収穫初期の精油は緑色を帯びることがあり、成熟に伴って色や香気組成も変化します。
一方、果汁は強い酸味に加えて独特の苦味を持つため、オレンジやミカンのような生食用柑橘としてはほとんど発展しませんでした。そのためベルガモットは、香水、化粧品、紅茶、食品香料、菓子、飲料など、「香りを利用する果実」として独自の歴史を歩むことになります。
2 名前の由来と起源
ベルガモットがいつ、どこで誕生したのかは完全には解明されていません。現在では南イタリア、とりわけカラブリア地方との結びつきが非常に強い植物ですが、その名称と植物そのものの起源についてはいくつもの説があります。
地名由来説
よく知られているのが、北イタリア・ロンバルディア州の都市「ベルガモ(Bergamo)」に由来するという説です。ベルガモ周辺との交易や流通を通じて知られるようになり、その地名が果実の名称になったと説明されることがあります。
トルコ語由来説
もう一つ有力とされてきたのが、トルコ語で「領主の梨」「王侯の梨」といった意味を持つ言葉に由来するという説です。ベルガモットの中には果梗側が細くなり、洋梨に似た形になる果実があることから、この説と結びつけられてきました。
地中海への伝来説
植物そのものの起源についても諸説があります。カラブリア地方で自然に生じた実生変異・交雑種とする説のほか、カナリア諸島やギリシャなど地中海周辺の別地域から南イタリアへ持ち込まれたとする説もあります。クリストファー・コロンブスの航海と関連付ける伝承もありますが、歴史的な裏付けが十分にあるわけではありません。
つまりベルガモットは、「カラブリア原産」と簡単に説明されることが多い一方、植物学的な誕生地点まで完全に特定されている植物ではありません。ただし、ベルガモットを香料作物として育て、その価値を世界的なものへ発展させた土地が南イタリア・カラブリア地方であることには疑いがありません。
3 ベルガモット栽培の始まり
ベルガモットの歴史をたどると、現在のような商業作物になる以前は、珍しい柑橘・観賞植物として知られていた時代があったと考えられています。
17世紀になると文献にも姿を現します。1646年、イタリアの植物学者・イエズス会士ジョヴァンニ・バッティスタ・フェラーリの柑橘に関する著作にベルガモットと考えられる植物が記載され、1708年にはドイツの植物学者ヨハン・クリストフ・フォルカマーがベルガモットについて記述しています。この頃には、すでに果実そのものよりも果皮から得られる独特の香りが注目され始めていました。
そしてベルガモットの歴史における大きな転換点となったのが18世紀です。
1750年、ニコラ・パリジ(Nicola Parisi)がレッジョ・カラブリア近郊のラーダ・ジュンキにベルガモット園を造成したとされ、これが商業的なベルガモット栽培の始まりとして知られています。
香水原料としてベルガモット精油の需要が増加すると、栽培地域はレッジョ・カラブリア周辺からイオニア海沿岸へと拡大しました。
ベルガモットは気候や土壌条件への適応範囲が比較的狭く、世界各地で栽培が試みられてきたにもかかわらず、カラブリア南部は現在まで世界最大の生産地域であり続けています。 この「特定の土地で育てられた果実から香りを取り出し、ヨーロッパ各地へ送り出す」という産業構造が、後の香水文化とベルガモットを強く結びつけていくことになります。
4 香水の歴史とベルガモット―「オーデコロン」の誕生
ベルガモットの名を世界に広める大きなきっかけとなったのが、ヨーロッパにおける香水文化の発展です。
なかでも重要なのが「オーデコロン(Eau de Cologne)」の誕生です。
1709年、イタリア出身のジョヴァンニ・マリア・ファリーナ(Johann Maria Farina)がドイツのケルンで香水製造を始め、ベルガモットをはじめとする柑橘精油とアルコールを組み合わせた新しいタイプの香りを生み出しました。
従来のヨーロッパの香水には、重厚な花や樹脂、香辛料などを主体としたものも多くありました。それに対してファリーナの香水は、ベルガモット、レモン、ビターオレンジ、ライムなどの柑橘を前面に出した、軽く爽やかな香りを特徴としていました。
ファリーナはこの香りを、自らが暮らす都市ケルンに敬意を表して「Eau de Cologne=ケルンの水」と名付けます。
この香りは18世紀にヨーロッパの王侯貴族へ広まり、やがて「オーデコロン」という言葉そのものが、一つの香水カテゴリーを表す名称へと発展していきました。
フランスによるケルン占領期には、兵士や将校を通じてさらにヨーロッパ各地へ知られるようになったとされ、ナポレオン・ボナパルトもファリーナの顧客の一人として記録されています。その後もゲーテ、ヴィクトリア女王、オーストリア皇后エリーザベトなど、数多くの著名人が顧客となりました。
また、1792年にはケルンの商人ヴィルヘルム・ミューレンスが別系統の「奇跡の水(Aqua Mirabilis)」の製造を始め、後に世界的に知られる「4711」へと発展します。「4711」という名称は、1794年のフランス占領下で建物に付けられた家屋番号に由来します。 こうして18~19世紀のヨーロッパでオーデコロン文化が広がるにつれ、その爽やかな香りを構成する重要な素材としてベルガモット精油の需要も拡大していきました。
ベルガモットは香水の最初に立ち上がる「トップノート」を代表する素材となり、現在でもレモン、オレンジ、グレープフルーツなどとともにシトラス(ヘスペリデ)系香調の重要な構成要素として使用されています。
300年以上経った現在もベルガモットが高級香水に使われ続けていることを考えると、ベルガモットは単なる流行素材ではなく、近代香水そのものの成立と深く関係した柑橘であると言えます。
5 紅茶「アールグレイ」との関わり
香水と並んで、ベルガモットの名前を世界中の一般消費者へ広めたのが「アールグレイ(Earl Grey)」です。
アールグレイは一般的に、紅茶にベルガモットの香りを付けたフレーバーティーとして知られています。
その名前は、1830~1834年にイギリス首相を務めた第2代グレイ伯爵チャールズ・グレイに由来するとされています。
有名な逸話では、グレイ伯爵の使節が中国を訪れた際、中国人官吏あるいはその家族の命を救い、そのお礼として特別な紅茶と製法を贈られたとされています。イギリスに戻った後、その香りを再現するためベルガモットを使用した紅茶が作られ、「Earl Grey」の名で広まったという物語です。
Twiningsでは、1831年にグレイ伯爵から依頼を受けてRichard Twiningがブレンドを再現したという歴史を紹介しています。
ただし、この有名な「中国から贈られた紅茶」の逸話については、後世に作られた伝説である可能性も指摘されています。
一方で重要なのは、**ベルガモットを紅茶に使用する習慣そのものは19世紀前半にすでに存在していた**ということです。
ベルガモットで着香した紅茶については1824年の記録が知られており、1837年には、品質の低い茶にベルガモットを加えて高級茶のように販売した業者が問題になった記録も残っています。
つまり、「グレイ伯爵がベルガモット紅茶を発明した」という部分は慎重に扱う必要がありますが、少なくとも1830年代頃にはベルガモットと紅茶の組み合わせがイギリス社会に存在していたと考えることができます。
その後、アールグレイはイギリスを代表するフレーバーティーの一つへと成長しました。
現在では天然のベルガモット精油だけでなく、ベルガモット由来の香料や調合香料などさまざまな方法で着香され、メーカーによって香りの強さや紅茶との組み合わせにも大きな違いがあります。
香水という比較的限られた世界で珍重されていたベルガモットが、「飲む香り」として一般家庭にまで浸透したことは、ベルガモットの歴史におけるもう一つの大きな転換点だったと言えるでしょう。
6 近現代の利用分野
ベルガモットの用途は時代とともに広がってきましたが、その中心にあるのは一貫して「香り」です。
香水・化粧品
現在でもベルガモット精油は香水を代表する天然香料の一つです。香水をつけた直後に感じるトップノートとして使用されることが多く、柑橘らしい爽やかさだけでなく、フローラルな柔らかさを加えられることが特徴です。
そのためシトラス系だけではなく、フローラル、ウッディ、オリエンタルなど幅広いタイプの香水に使用されています。
紅茶・食品
最も有名なのはアールグレイですが、現在ではチョコレート、焼菓子、ケーキ、アイスクリーム、清涼飲料、リキュール、クラフトビールなどにも用途が広がっています。
従来は「精油や香料を加える」ことが中心でしたが、産地では生果の果皮や果汁そのものを料理や菓子に使用する試みも行われています。
アロマテラピー
ベルガモットはアロマテラピーの世界でも代表的な柑橘精油の一つとなっています。爽やかさと甘さを併せ持つ香りから、リラックスを目的とした芳香用途などに広く利用されています。
料理
近年特に広がっているのが、生果を食材として使用する方法です。
果汁を魚介類のマリネ、ドレッシング、ソース、カクテルなどへ利用したり、果皮を菓子、マーマレード、チョコレートなどに使用したりと、精油だけでは表現できない生果特有の香りを料理へ取り入れる試みが増えています。
ベルガモットは「食べるには苦すぎる柑橘」として扱われてきましたが、その酸味や苦味まで含めて料理の個性として利用することで、新しい食材としての可能性も生まれています。
なお、ベルガモットの果皮から得られる精油には、ベルガプテンなどのフロクマリン類が含まれ、紫外線と組み合わさることで皮膚に光毒性を示すことがあります。そのため化粧品や皮膚への使用を目的とする製品では、ベルガプテンを除去した「BGF(Bergapten Free)」や、フロクマリン類を低減・除去した「FCF(Furocoumarin Free)」などの精油も流通しています。
7 日本国内での栽培の広がり
ベルガモットは長い間、日本では「アールグレイや香水に使われている海外産の香料原料」という存在でした。
しかし2000年代以降、国内でも生果を栽培しようとする動きが少しずつ始まります。
土佐ベルガモットプロジェクトでは、約20年前に全国の果樹試験場へ苗木が配布され研究が始まったとされており、2000年代後半の段階でも国内での栽培例は広島県のシトラスパークなど瀬戸内のごく一部に限られていたとされています。
日本における本格的な産地化の先駆的事例となったのが高知県です。
高知市春野町では2009年頃からベルガモット栽培への取り組みが始まりました。
しかし、温暖な高知県であっても栽培は簡単ではありませんでした。特に冬季の温度管理や適切な台木の選定などに苦労し、試行錯誤を続けた結果、約5年をかけて2014年にハウス栽培による収穫へ到達しています。
その後、生産者と加工事業者が連携して「土佐ベルガモット」としてブランド化。生果だけでなく、精油、スパークリング飲料、コンフィチュール、クラフトコーラ、酒類などへ加工用途を広げ、国産ベルガモットの代表的な産地の一つとなっています。
現在では高知県だけではなく、佐賀、和歌山県、愛知県をはじめとする比較的温暖な地域でもベルガモットを栽培する農家が見られるようになりました。愛知県知多半島でも温室・露地双方で栽培が行われており、国産生果としてレストラン、パティスリー、バー、酒類メーカーなどへ出荷されています。
輸入精油や輸入香料の場合、利用者が実際の果実を見る機会はほとんどありません。一方、国内で生果が流通するようになったことで、果汁、果皮、ゼスト、スライスなど、これまで日本では利用しにくかった形でベルガモットを料理や商品開発に使用できるようになりました。
また、ベルガモットは成熟するにつれて果皮の色だけでなく、香り、酸味、苦味なども変化します。そのため国産生果の流通拡大は、単なる「輸入原料の国産化」にとどまらず、収穫時期を選んで使用するという新しい利用方法にもつながっています。
数百年にわたりカラブリアを中心に「精油を採るための果実」として発展してきたベルガモットが、日本では生果そのものを料理や菓子、飲料に利用する素材としても注目され始めている点は、ベルガモットの新しい歴史の一つと言えるかもしれません。
8 ベルガモットの略年表
| 時期 | 出来事 |
| 起源不詳 | 南イタリアで生じた交雑種と考えられるが、植物学的な起源には複数の説がある |
| 1646年 | フェラーリの柑橘に関する著作にベルガモットと考えられる植物が記載される |
| 1708年 | フォルカマーがベルガモットについて記述 |
| 1709年 | ジョヴァンニ・マリア・ファリーナがケルンでベルガモットなどの柑橘を使用した「Eau de Cologne」を生み出す |
| 1750年 | ニコラ・パリジがレッジョ・カラブリアに最初期の商業的ベルガモット園を造成 |
| 18世紀 | オーデコロンの普及とともにベルガモット精油の需要がヨーロッパで拡大 |
| 1792年 | 後に「4711」となる香水事業がケルンで始まる |
| 1824年 | ベルガモットで着香した紅茶についての記録が確認される |
| 1830年代 | 第2代グレイ伯爵の名と結びついた「アールグレイ」の物語が形成される時代 |
| 19~20世紀 | ベルガモットが香水・化粧品・紅茶などの代表的な香料素材として定着 |
| 2000年代 | 日本国内でもベルガモットの栽培・商品化の取り組みが広がり始める |
| 2009年頃 | 高知県で「土佐ベルガモット」につながる本格的な栽培への取り組みが始まる |
| 2014年 | 高知県で試行錯誤を経てハウス栽培による収穫に成功 |
| 現在 | 高知、和歌山、愛知など国内各地で栽培され、生果・精油・菓子・飲料・酒類など用途が拡大
まとめ
ベルガモットの歴史を振り返ると、この果実が一般的な柑橘とはまったく異なる道を歩んできたことが分かります。
オレンジやミカンが「甘い果肉を食べる果実」として世界へ広がったのに対し、ベルガモットは強い酸味と苦味を持っていたため、生食用果実として大規模に普及することはありませんでした。
その代わり、人々が価値を見いだしたのが果皮から立ち上がる独特の香りでした。
17~18世紀にその香りが注目され、1750年頃からカラブリアで商業栽培が発展。オーデコロンの誕生とともにヨーロッパの香水文化を代表する天然香料となり、さらに19世紀にはベルガモットで着香した紅茶が広まり、アールグレイを通じて世界中の食文化にも浸透していきました。
つまりベルガモットは、数百年にわたって「味よりも香りによって価値を見いだされてきた果実」です。
そして21世紀、その歴史に新しい動きが生まれています。
日本を含むカラブリア以外の地域でも生果が栽培されるようになり、従来の精油や香料としての利用だけではなく、料理人やパティシエ、バーテンダーなどが生の果皮や果汁を直接扱えるようになりました。
「香料の原料だったベルガモット」から「収穫時期や熟度まで選んで使う生鮮果実」へ。
ベルガモットは今、300年以上続いてきた香りの歴史を受け継ぎながら、新しい食材としての歴史も歩み始めています。
